2014年度第Ⅰ期収蔵品展 「開館10周年 宮本三郎の仕事 1920’s-1930’s 修行時代から滞欧期まで」

※情報は変更等がございますので、お出かけ前に必ず公式サイトなどでご確認ください

★開催日・期間
2014年04月05日(土)〜2014年07月27日(日)
★開催場所・会場
世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館
2014年度第Ⅰ期収蔵品展 「開館10周年 宮本三郎の仕事 1920’s-1930’s 修行時代から滞欧期まで」
終了芸術・デザイン

今年度、当館は開館10周年を記念して、宮本三郎(1905-1974)の約50年にわたる画業を3つの時期にわけて回顧し、収蔵品による展覧会を開催いたします。

第Ⅰ期となる本展では、「修行時代から滞欧期まで」と題し、当館所蔵の宮本作品としては最初期の《不詳(妹・志乃像)》(1922年)をはじめ、1938年から1939年にかけて訪れたヨーロッパ滞在中に制作した作品までを、宮本が携わった雑誌の表紙絵や連載小説挿絵の仕事とあわせてご紹介します。
1920年代から1930年代、つまり宮本が10代後半から30代半ばの年齢だった頃は、彼が画家として独立していくために画学校等で切磋琢磨し、その努力もあって作品が周囲から認められていく時期にあたります。それは宮本が、1927年に「第14回二科展」で初入選を遂げたのち、1935年に生涯の制作拠点となるアトリエ兼住居を現在の世田谷区奥沢に新築、翌年の「第23回二科展」で二科会員に推挙されたことからもうかがい知れるでしょう。しかし一方、1929年頃からはじめた雑誌の表紙絵や挿絵の仕事が、展覧会で発表する油絵に通俗的な意味で影響していると意見されることもありました。新進画家として高く評価され、一見順調にも見える足取りの中で、宮本自身葛藤の日々を送っていたと言えます。

宮本は1938年10月に日本を離れ、翌1939年9月まで初めての長期ヨーロッパ滞在を果たしますが、これは、多忙をきわめた挿絵の仕事から離れ、油絵の本場で西洋美術の古典をつぶさに見つめ、自己の制作と向き合うことが目的でした。

生まれ故郷・石川県を15歳で離れ、東京を基盤にし、画家として一人立つべく奮闘した宮本三郎の青年時代の軌跡をご覧ください。

出典 www.miyamotosaburo-annex.jp

開催地 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館
開催期間 2014年04月05日(土)〜2014年07月27日(日)
料金 一般200円(160円) 大・高生150円(120円) 小・中学生、65歳以上、障害者の方(一般)100円(80円) ※( )内は20名以上の団体料金  ※小・中学生は土・日・祝日は無料 ※障害者で小・中・高・大学生、および障害者の介助者(当該障害者1名に付き、1名に限る)は無料
お問い合わせ先 03-5483-3836
ホームページ http://www.miyamotosaburo-annex.jp/
備考 ■開館時間 午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで) ■休館日 毎週月曜日 (月曜日が祝休日の場合は開館、翌火曜日が休館)、5月7日(水)
関連URL ・世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館 http://www.miyamotosaburo-annex.jp/

情報更新日:14/05/21

宮本 三郎(みやもと さぶろう、1905年5月23日 - 1974年10月13日)は石川県能美郡末佐美村(現・小松市)生まれの洋画家である。

略年譜

  • 1922年 上京し川端画学校洋画部で藤島武二に師事。
  • 1927年 「白き壺の花」で二科展に初入選
  • 1934年 初の個展を開く。
  • 1936年 二科会会員に推挙される。
  • 1938年 渡欧。
  • 1939年 第二次世界大戦の勃発に伴い帰国。
  • 1940年 陸軍省嘱託として小磯良平等と共に中国へ従軍。
  • 1942年 「山下、パーシバル両司令官会見図」で帝国美術院賞受賞。
  • 1943年 「海軍落下傘部隊メナド奇襲」で朝日賞受賞。
  • 1946年 金沢美術工芸専門学校講師に就任
...

「宮本三郎」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
2013年7月29日13:16 UTC
http://ja.wikipedia.org/wiki/宮本三郎

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