「岡本太郎とオリンピック」展
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- ★開催日・期間
- 2014年01月17日(金)〜2014年04月06日(日)
- ★開催場所・会場
- 川崎市岡本太郎美術館(川崎市多摩区枡形7-1-5)
終了芸術・デザイン
2020年東京でのオリンピック開催が、国際オリンピック委員会(IOC)で決定され、大きな話題となりました。今より遡ること50年前、1964年にアジアではじめてのオリンピック、東京オリンピックが開催されました。このとき岡本太郎は様々な形で、オリンピックと関わっていたのです。例えば、建築家・丹下健三とのコラボレーションといえる国立代々木競技場・第1体育館の南側ロビーに高さ約3m全長約50mにもおよぶ5面の壁画などを作りました。また、オリンピックの参加選手・役員のための公式参加メダルも制作し、さらにオリンピックをテーマにして、油彩《マラソン》等も描きました。岡本は東京オリンピックだけでなく、その後も札幌オリンピックの公式参加メダルやミュンヘンオリンピックの公式参加メダルもデザインしています。
本展では岡本太郎とオリンピックの関わりを紹介するとともに、スポーツと岡本太郎の関わりも紹介します。
(公式ページより)
開催地 | 川崎市岡本太郎美術館(川崎市多摩区枡形7-1-5) |
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開催期間 | 2014年01月17日(金)〜2014年04月06日(日) イベントによっては、期間中でも休みの日がある可能性があります。必ず公式ページでご確認ください。 |
ホームページ | http://www.taromuseum.jp/exhibition/collection.html |
料金 | 常設展のみ開催期間(2月7日まで) 一般500(400)円/高・大学生・65歳以上300(240)円/ 中学生以下無料 企画展開催期間(2月8日~4月6日) 一般600(480)円/高・大学生・65歳以上400(320)円/ 中学生以下無料 ※本料金で常設展・企画展ともにご覧いただけます ※( )内は20名以上の団体料金 |
備考 | 休館日:月曜日、2月12日(水) |
情報更新日:14/02/06
【岡本太郎(おかもと たろう)】
岡本 太郎(おかもと たろう、1911年(明治44年)2月26日 - 1996年(平成8年)1月7日)は、日本の芸術家。血液型はO型。
1929年(昭和4年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動と直接関わった。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文時代や沖縄のプリミティブな美術を再評価するなど文筆活動も行い、雑誌やテレビなどのメディアにも積極的に出演した。
1970年(昭和45年)に大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、主催者(国)は紆余曲折の末、シンボル・タワーの制作を岡本太郎に依頼した。太郎は承諾すると、「とにかくべらぼうなものを作ってやる」とひたすら構想を練った。そうして出来上がったのが巨大なシンボル・タワー『太陽の塔』である。
これは、当時の知識人たちから「牛乳瓶のお化け」「日本の恥辱」などと痛烈な批判を浴びた。しかし太郎は、「文明の進歩に反比例して、人の心がどんどん貧しくなっていく現代に対するアンチテーゼとしてこの塔を作ったのだ」と反論した。「国の金を使って好き勝手なものを造った」という批判に対しては、「個性的なものの方がむしろ普遍性がある」と反論した。
主催者が塔の内部に歴史上の偉人の写真を並べるつもりだったが、太郎は「世界を支えているのは無名の人たちである」として、無名の人々の写真や民具を並べるよう提言。実現させた。
塔の目の部分をヘルメット姿の男が占拠すると、万博中止を訴えたアイジャック事件の際には狂喜して、居合わせたマスコミに対し「イカスねぇ。ダンスでも踊ったらよかろうに。自分の作品がこういう形で汚されてもかまわない。聖なるものは、常に汚されるという前提をもっているからね」と言った。
日本万国博覧会は成功のもとに終了。1975年(昭和50年)、『太陽の塔』は永久保存が決定。現在も大阪のシンボルとして愛されている。
1970年代以降は、芸術や著述のみならず、テレビなどにも進出。日本テレビのバラエティ番組『鶴太郎のテレもんじゃ』にレギュラー出演。冒頭でリヒャルト・シュトラウス『ツァラトストラはかく語りき』を鳴り響かせ、ドライアイスの煙の立ちこめる中から太郎が異形の面貌で、 「芸術は爆発だ」「何だ、これは」と叫びながら現れる演出が人気を博すと、流行語にもなった。番組内で出演した子供たちの絵を批評、お眼鏡に適う作品を見出した際には、目を輝かせた。またこの番組内で共演した片岡鶴太郎の芸術家としての才能を見出している。
老いを重ねても創作意欲は衰えず、個展など精力的な活動を続けていたが、80歳のときに太郎が所蔵するほとんどの作品を川崎市に寄贈。市は美術館建設を計画する。
1996年(平成8年)1月7日、以前から患っていたパーキンソン病による急性呼吸不全により死去(満84歳没)。生前「死は祭りだ」と語り、葬式が大嫌いだった太郎に配慮するため、葬儀は行われず、翌月2月26日にお別れ会として「岡本太郎と語る広場」が草月会館で開かれる。会場には彼の遺した作品たちが展示され、参加者たちは太郎との別れを惜しんだ。
[wikipedia]岡本太郎より
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