生誕130周年 モディリアーニを探してーアヴァンギャルドから古典主義へ

※情報は変更等がございますので、お出かけ前に必ず公式サイトなどでご確認ください

★開催日・期間
2014年04月12日(土)〜2014年09月15日(月)
★開催場所・会場
ポーラ美術館(神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1285)
生誕130周年 モディリアーニを探してーアヴァンギャルドから古典主義へ

画像はイメージです

出典 www.amazon.co.jp

終了芸術・デザイン

短くも様々な逸話に彩られた人生とともに、その独自の芸術によって、今日もなお見る者の心に鮮烈な印象を残す、イタリア・リヴォルノ生まれの画家にして彫刻家、アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)。長くいわゆるエコール・ド・パリの代表格として芸術上の位置づけを受ける傾向が強かったといえますが、今世紀に入って以降、モディリアーニ芸術そのものを再検証する気運が高まっています。この「モディリアーニを探して」展もまた同様の意識にたつものですが、とかく孤高の存在として語られがちなこの作家の残した芸術を、同時代の芸術的な環境に照らしてとらえ直し、その意義を再考することを第一に企図しています。

モディリアーニの同時代からの影響関係としては、1910年頃に顕在化するアフリカ彫刻やブランクーシをめぐるプリミティヴィスムへの意識が突出して論じられてきたといえますが、本展では、それに先立ってこの作家がパリに出てきた1906年からの数年に顕著なセザンヌやトゥールーズ=ロートレックからの影響に始まり、第一次世界大戦末期にあたる1918年の南仏滞在を機に本格化したと考えられる古典への回帰傾向の紹介にも重きを置いています。「1906-1910 パリ・モンマルトル、デルタ通り」、「1911-1915 パリ・モンパルナス、シテ・ファルギエール」、「1915-1918 パリ・モンパルナス、カフェ・ラ・ロトンド」、「1918-1920 ニース~パリ」という計4つのセクションにわたってモディリアーニ芸術を検討することは、長きにわたる伝説の典型たる「呪われた画家」という語られ方を超えて、よりリアルな作家像、いわば「生けるモディリアーニ」を同時代との関わりのうちに探りあて、浮かび上がらせる試みにほかなりません。

芸術・美学上の価値観がめまぐるしく変化する20世紀初頭の約15年間にわたり、モディリアーニはいかなる対象に注意を向け、そして何を変わらず見据え続けていたのか。初期から南仏滞在時にいたるまでのモディリアーニ作品とならび、影響関係や交流のあった同時代の作家の作品をあわせて、モディリアーニ芸術の発展の足跡を検証いたします。

出典 www.polamuseum.or.jp

開催地 ポーラ美術館(神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1285)
開催期間 2014年04月12日(土)〜2014年09月15日(月)
お問い合わせ先 0460-84-2111
ホームページ http://www.polamuseum.or.jp/exhibition/20140412s01/

情報更新日:14/03/13

アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(Amedeo Clemente Modigliani、1884年7月12日 - 1920年1月24日)は、イタリアの画家、彫刻家。主にパリで制作活動を行った。芸術家の集うモンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリ(パリ派)の画家の一人に数えられる。

来歴

幼少期

1884年にトスカーナ地方のリヴォルノのローマ街33番地でフラミニオ・モディリアーニ(父)とエウジェニア・ガルシン(母)の間に2男1女に続く末っ子として生まれる。両親はともにセファルディ・ユダヤ系のイタリア人である。当時モディリアーニ家は林業や銀鉱を経営していたが、モディリアーニが生まれた年に倒産している。幼少期に父フラミニオは旅行をすることが多くモディリアーニの話し相手になっていたのは母方の祖父イサーク

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「アメデオ・モディリアーニ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
2014年1月17日00:23 UTC
http://ja.wikipedia.org/wiki/アメデオ・モディリアーニ

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