ジュール・パスキン展
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- ★開催日・期間
- 2015年01月17日(土)〜2015年03月29日(日)
- ★開催場所・会場
- パナソニック汐留ミュージアム(東京都港区東新橋1−5−1 パナソニック東京汐留ビル4F)

1920年代のパリで絶大な人気を誇った画家ジュール・パスキン(1885-1930)の回顧展です。真珠母色の油彩裸婦像など後年の代表作にとどまらず、初期の素描、水彩画に加え、版画、フォーヴィスムや表現主義絵画の研究的な作品を含む名品が世界各国から届きます。
開催地 | パナソニック汐留ミュージアム(東京都港区東新橋1−5−1 パナソニック東京汐留ビル4F) |
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開催期間 | 2015年01月17日(土)〜2015年03月29日(日) イベントによっては、期間中でも休みの日がある可能性があります。必ず公式ページでご確認ください。 |
ホームページ | http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/14/ |
情報更新日:14/03/16
ジュール・パスキン(Jules Pascin、本名 ユリウス・モルデカイ・ピンカス(Julius Mordecai Pincas)、1885年3月31日 - 1930年6月5日)はブルガリア人の画家。エコール・ド・パリ全盛の1920年代、モンパルナスで華やかな浪費生活をし「モンパルナスの王子」の異名を得た。「パスキン」は、本名のピンカスのアナグラム。
ブルガリアのヴィディンに穀物商を営むユダヤ系一家に生まれる。1902年、ヨーロッパや北アフリカ、アメリカなどを旅行。ウィーン、ミュンヘン、ベルリンなどでデッサンを学ぶ。ミュンヘンで「ジンプリツィシムス」の挿絵画家として専属契約を結び、早くも素描家として高い評価を得る。
1905年にパリへ移住。本格的に油画に取り組む。この年から「パスキン」の名を用いるようになる。サロン・ドートンヌやアンデパンダン展に作品を発表する。1913年にニューヨークで行われた大規模な展覧会「アーモリー・ショー」に選抜され出展(アーモリー・ショーはアメリカで初めて本格的にヨーロッパのモダンアートが紹介された展覧会。デュシャンが『階段を降りる裸体No.2』を出展し名声を博した)。
1914年、第1次世界大戦を逃れてロンドンへ。ニューヨークへ行き展覧会に出品。具象的な作品を描き始める。その後、フロリダ、キューバへ行く。1918年にエルミヌ・ダヴィットと結婚し、アメリカの国籍を取得。
第1次世界大戦終結後の1921年、パリのモンマルトルに居を定める。独自の画風を確立し、成熟期を迎える。カフェの「ル・ドーム兄弟」や「ラ・クーポール」などで華やかな社交生活を送るも、アルコール依存症と鬱病に苦しむようになる。そして、友人ペル・クローグの妻のリュシーと不倫関係になるが、彼の堕落した生活が原因で別れる。
1930年6月5日、自宅アトリエの浴槽で手首を切ったうえ、首を吊って自殺。ドアに血文字で「ADIEU LUCY」(さよなら、リュシー)と書かれていた。
パスキンの葬儀が行われた6月7日、パリのすべてのギャラリーは閉じて喪に服した。サントゥアン墓地までの5km近い道のりを、何千人もの知人がパスキンの棺の後に列を成したという。彼の遺体は一年後、モンパルナス墓地に再埋葬された[1][出典無効]。
「ジュール・パスキン」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
2014年2月15日10:21 UTC
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジュール・パスキン
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