コレクションを中心とした小企画: 泥とジェリー
※掲載中の情報は調査時の情報となります。
※必ず公式サイトなどで最新の情報をご確認ください
- ★開催日・期間
- 2014年01月21日(火)〜2014年04月06日(日)
- ★開催場所・会場
- 東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)
終了芸術・デザイン
絵具とは不思議なものです。それはべちゃべちゃとやわらかくねばっこいモノでありながら、同時に色となり形となってキャンバス上に人物や風景といった図柄を作ります。絵具のべちゃべちゃが目につくとき、図柄は私たちの意識から引っ込み、逆に図柄が目立つとき、べちゃべちゃは退きます。そこで、あまりべちゃべちゃした感じが目立たないよう作るのが、ふつう私たちが考える絵画のあり方です。さて、では仮にこの絵具のべちゃべちゃを極端に際立たせてみたら、一体どんな作品が生まれるのでしょう?岸田劉生の重要文化財《道路と土手と塀(切通之写生)》他、約30点の作品によってこの問題を探ります。
(公式HPより)
開催地 | 東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1) |
---|---|
開催期間 | 2014年01月21日(火)〜2014年04月06日(日) イベントによっては、期間中でも休みの日がある可能性があります。必ず公式ページでご確認ください。 |
ホームページ | http://www.momat.go.jp/Honkan/mud_and_jelly/index.html |
料金 | 一般 420円(210円) 大学生 130円(70円) *2014年4月1日以降、観覧料金が変更となります。 *高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。 *それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 * ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 *お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。 *キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 *本展の観覧料で、当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(所蔵品ギャラリー、4-2F)もご観覧いただけます。 無料観覧日 2月2日(日)、3月2日(日)、4月6日(日) |
備考 | 会場 ギャラリー4 (2F) |
情報更新日:14/01/16
岸田 劉生(きしだ りゅうせい、男性、1891年6月23日 - 1929年12月20日)は、大正~昭和初期の洋画家。
1908年(明治41年)、東京の赤坂溜池にあった白馬会葵橋洋画研究所に入り黒田清輝に師事した。1910年(明治43年)文展に2点の作品が入選している。
1911年(明治44年)『白樺』主催の美術展がきっかけでバーナード・リーチと知り合い、柳宗悦・武者小路実篤ら『白樺』周辺の文化人とも知り合うようになった。劉生自身生前は『初期肉筆浮世絵』、『図画教育論』や、没後に出された随筆『美の本体』(河出書房)、『演劇美論』(刀江書院)など、多くの文章を残し、これらは『岸田劉生全集』(全10巻、岩波書店、1979年~1980年)にまとめられた。
1912年(明治45年)、高村光太郎・萬鉄五郎らとともにヒュウザン会を結成、第1回ヒュウザン会展には14点を出品した。これが画壇への本格的なデビューといえる。(なお、ヒュウザン会展は2回で終了し、1913年(大正2年)の第2回展ではフュウザン会と改称していた)。劉生の初期の作品はポスト印象派、特にセザンヌの影響が強いが、この頃からヨーロッパのルネサンスやバロックの巨匠、特にデューラーの影響が顕著な写実的作風に移っていく。
1915年(大正4年)、現代の美術社主催第1回美術展(第2回展以降の名称は「草土社展」)に出品する。草土社のメンバーは木村荘八・清宮彬・中川一政・椿貞雄・高須光治・河野通勢らであった。草土社は1922年(大正11年)までに9回の展覧会を開き、劉生はそのすべてに出品している。大正4年に描かれ、翌年の第2回草土社展に出品された『切通しの写生(道路と土手と塀)』は劉生の風景画の代表作の一つである。
1917年(大正6年)、結核を疑われ、友人武者小路実篤の住んでいた神奈川県藤沢町鵠沼の貸別荘に転地療養の目的で居住(結核は誤診だといわれる。庭に土俵を設け、来客と相撲に興じた)。1918年(大正7年)頃から娘の岸田麗子(1914年~1962年)の肖像を描くようになる。
1920年(大正9年)、30歳になったことを期に日記をつけはじめ、『全集』の一部や『劉生日記』(全5巻、岩波書店、1984年)にまとめられている。没するまでの幅広い交友関係が窺われる。劉生を慕って草土社の椿貞雄や横堀角次郎も鵠沼に住むようになり、中川一政らのように岸田家の食客となる若者もいた。1923年(大正12年)、関東大震災で自宅が倒壊し、京都に転居し後に鎌倉に居住。この鵠沼時代がいわば岸田劉生の最盛期であった。劉生の京都移住に伴い、草土社は自然解散の形になったが、劉生を含めメンバーの多くは春陽会に活動の場を移した。
1929年(昭和4年)、南満州鉄道(満鉄)の招きで生涯ただ一度の海外旅行に出かけ、大連・奉天・ハルビンなどに滞在する。帰国直後、滞在先の山口県徳山(現・周南市)で尿毒症のため死去する。38歳の若さであった。墓所は多磨霊園にある。
当時から潔癖症で知られており、汚物が腕に付着したことがあった時には「腕を切り落とせ」と言い張り、周囲を困惑させたことがある。 また、癇癪持ちで気に入らないことがあると当り散らすなど、社交的とはいい難い人物であった。 晩年までパリに行くことが願望であったが、「パリに行った暁には、フランスの画家に絵を教えてやる」などと豪語していた。
[wikipediaより]
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